|
|
|
|
芸術戯言 第002回 福田繁雄展・福田美蘭展 場所:世田谷美術館 世田谷区民の約半分は芸能人であると聞く。そんな世田谷に出かけた。 世田谷美術館へは、小田急線の千歳船橋駅から田園調布行きのバスで向かった。田園調布といえば、人口の約半分は五木ひろしだと聞く。砧(キヌタ)公園というでかい公園の中に美術館はある。途中で五木ひろしにあわないかとひやひやしていた。 休日ということと企画展最終日ということもあり、幾分混雑していたが嫌になるほどではなかった。受付で金を払おうとすると、丁度前にいたお客が学割ができないことをつげられていた。覗き込むと見覚えのある学生証を提示している。それは僕が、大学に入る前に顔を出していた立川美術学院の学生証だった。通称『タチビ』は学校法人ではないので学生証のくせに学割が効かないのだ。タチビつながりでちょっと親近感を覚えたので、声をかけようかと迷った。しかし、自分が美術館の中で知り合いでもない奴に声をかけられたら確実に嫌なので止めておいた。 ここで、簡単に今回の企画について説明しておこう。福田繁雄(シゲオ)と福田美蘭(ミラン)は父娘の関係で、繁雄はグラフィックを中心としたデザイン分野で有名なおっさんで、美蘭は画家というか現代美術の作家として有名。今回はそんなお二人の作品がズバッとたくさん展示されたおいしい企画なわけだ。僕は美蘭の方は知ってはいたが、繁雄に関してはほとんど無知。後になって繁雄作品を見たことがあったことと気付いたのだが、それまでムチムチの無知だったので、美蘭を見に行くつもりで世田谷まで雨の中やってきたのだった。 早速、繁雄の方からいってみよう。パンフレットによると、 「ユーモアとエスプリ」 がキーワードらしい。ユーモアはわかるがエスプリってなんだよ。頭の中にコーヒーしか浮かばない。言葉って難しい。 印象はとてもよかった。繁雄は再構成するタイプの作家。現実に存在するものを組替えたり、変化をつけたりして、おもしろい見方を提供してくれる。特に、イメージが人の頭の中に定着しているもの、つまり、記号化されつつあるものを福笑いのように組み立てていくのだ。コンピューターグラフィックスの、あっちゃこっちゃグイングインひん曲がって、反射光がバシッとあたっているようなデザインが主流の昨今、シンプルで強く、おもしろみがあり、風刺のきいた作風はとても新鮮だった。 繁雄の作品は、ポスターだけにとどまらず、立体物も数多く見られ、どれも見方というものに遊びを感じる。個人的には、写真のブレを立体化したようなスポーツをしている像が気に入ってしまった。全く、父娘そろってキャッチーだなぁなんて思った。 繁雄ですっかり満足していた僕は、美蘭で楽しくなくても別にいいな、なんて思いながら美蘭の展示の方へ向かった。作品サイズの関係もあるが、美蘭の展示室の方が広いようだ。 この企画ではじめて気付いたのだが、繁雄と美欄はやっぱり親子である。表現していること自体は違うのだが、その思考の道筋のようなものに強い共通性を感じる。解体し、それを再構成する手段がキッチュっていうの?そういうのを踏まえてぶっ壊している気がする。繁雄の場合、扱うものの扉を広くとっているけど、美蘭は直球よろしく絵画一本って感じ。 絵画ってのは今さらな感じがするほど、That's芸術な表現手段として君臨している。そしてそれを解体してみようって感じの動きが、ここ何十年かに渡ってある。現代美術っていわれる中にそういうもんがあるんだと僕は思う。例えばそれは、A・ウォーホールの缶詰のやつとか、G・リヒターの写真を書くやつとか。そういう中に美蘭の一連の表現もあるんだろう。 ・・・いっとくけど、知らんよ。別に調べたりとかしてないし。年代とかたぶんバラバラだし。リヒターなんてたしか東ドイツの亡命どうのこうのって時代の人だし(J・ボイスと同じぐらいかな?)、ウォーホールは60年代ぐらいだし。そういうのは専門家がやればいい。なんとなくで生きてきているんだから、いいかげんでごめ〜んチャイチャイチャイニーズ(←ダチョウ)。 で、その一連の動きの中でやっぱり絵画に帰っていくような気がするのが美蘭。父譲りのユニークな破壊を試みているのだけど、それは今「ある(存在する)」という状態のものに新しい「ある(存在する)」という状態を示してそれまでを否定するのではなく、絵画という語り尽くされた感のあるメディアに 「おいおい、俺はまだまだ底は見えてねぇよ、バカヤロー」 という可能性を見出しているような気がする。自分が今いる地点に尾を引いている過去ってのは、割と否定しやすいらしく、芸術に限らずそれが若い奴を動かす原動力にもなっていたりするが、美蘭ってのは過去の側にいる人間。つまり自分より年をとった側について変えていこうとしている。 普通なら、前者は過激派的立場の人間で、美蘭のいる後者は保守的な立場ってことになるのだろうけど、奴の場合は確実に保守ではない。こういうのってなんて言うんだろう。 思いついたついでに例え話をもう一つ。田んぼがあったとしよう。若い息子夫婦たちは、 「農家なんてだっせぇ。ビルでも建ててしっぽり稼ごうぜ」 てなことをいう。そんなことをしてしまっては、ご先祖様に申し訳が立たんもんだから、当然オヤジたちは反対する。しかし今のままじゃいずれダメになっちまう。そんなとき立ち上がったのが末娘の美蘭で、みんなに内緒で夜中にミステリーサークルなんかこしらえて、朝起きたらみんな唖然。ビル建てるとか稲をどうとかいうそんなことはどうでもよくなるぐらい「何これ?」って感じ。で一日中家族でミステリーサークルみて、呆然としている。そんなイメージ。 ・・・なんか違う。どう言えばいいんだ? 絵画っていう固定化されたイメージがあってそれに対して美蘭はそのイメージを破壊していく。そうすると新しい見方を提示された側は、自分の中にあった美蘭によって破壊された絵画ってものをもう一度構築していこうとする。僕が言いたいのはたぶんそういうこと。現代美術の作家ってのはどんどんノンジャル化されてきていて、それまでの棲み分けみたいのが崩されていっているように思う。その中で美蘭は、ジャンルを崩す気はさらさら無くて、そのジャンル(美蘭の場合は絵画)の持つ定義を破壊してやろうって具合なのだと思う。とりあえず僕にはそう思えたので、そういうことにして見ごたえ十分だったこの展覧会報告を終えよう。よくやったぞ学芸員。 加えて、世田谷美術館の常設展示はヨーロッパのサロン絵画の展示みたいに壁中に飾られていておもしろい。そのあたりもきっちり誉めておいてみたりする。 |
◎ 世田谷 ◎ 世田谷美術館 ◎ 砧(キヌタ)公園 ◎ 立川美術学院 ◎ エスプリ ◎ コンピューターグラフィックス ◎ キャッチー ◎ キッチュ ◎ A・ウォーホール ◎ G・リヒター ◎ J・ボイス ◎ ごめ〜んチャイチャイチャイニーズ ◎ ミステリーサークル ◎ ジャンル ◎ サロン絵画 |
||||
|
|
|
|
| copyright gelheadunderground All Rights Reserved since 1998 |