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映画戯言 第006回 火星のわが家 監督:大嶋拓/製作:大嶋拓/脚本:大嶋拓/撮影:芦澤明子/編集:大嶋拓/音楽:伊藤竜太/出演:鈴木重子、ちわきまゆみ、堺雅人、日下武史 製作年:2000/製作国:日本/時間:104分/ その昔、本当に火星の土地を売ろうとした奴がいた。鈴木重子が演じる主人公の父は、そんなウソンコ丸出しの過去を持つ。映画を観ているときは「物語らしい設定だなぁ」と余裕ぶっこいていたが、どうやら本当にあったことらしい。 映画自体はNHKの2時間ホームドラマのような出来栄えだったが、主人公家族が住む家やそれを取り巻く環境が妙にしっくりくる。おそらく、その家の生活観と文化背景がぴったりはまっているからなのだろう。 「きっと大学の先生やなんかの家は実際こんなんだろーなー」とか思っていたら、鈴木重子の後援会のページに、映画と共にあの家について書いてあった。あの家は初老の著述家の人が実際住んでいる家を使ったらしい。やっぱりそういう環境だとああいう家になる。当たらずとも遠からずであったので、ちょっとうれしい。 物語の進行はとてもありふれていて、90年代ぐらいからの日本映画にわりとよくあるパターン。取り扱っているテーマは全然関係ないのに『鉄塔武蔵野線』なんかとかぶっているように感じるのは、自主映画の香りが強いせいだろう。大学の映研かなにかで、比較的クソまじめに映画を撮っている奴は、質はともかくとして、このタイプの作風が多いように思う。嫌味でなくそんなかんじがする。 この設定でなら映画より漫画の方が面白いものができるんじゃないだろうか。偉そうにもそう思ってしまった。同じホームドラマでも主観が入りやすい漫画の方が、”ありふれた”にならないで引っ張っていける気がする。 ・・・と今書いてて思ったんだが、この映画、「より」が足らないのだ。それはカメラ的にアップで撮影するということではなく、人物に入っていかないという意味の「より」ということ。 ホームドラマなのに人に入っていくことができないから、引っ掛かりが少なく、気持ちが通り過ぎてしまう。これがミステリー系の話であるなら、そんなことはたいして問題にはならないのかもしれない。家族をテーマにしたような小説だと、人に入っていかないでも繊細な情景描写でそういう雰囲気を作るということがあるかもしれない。 映画は普通すぎる普通が入り込みやすい。なので意識的にその辺りを操作してあげないと、ダメな気がする。別に作りこめと言っているのではなく、映画が人にクローズアップして、観客を引きつけるか、観客が映画の中の人にクローズアップしていかせるような方法をとらないと、ホームドラマは観ていてだれる。別にホームドラマではないけれど、キアロスタミ監督なんかはその辺りの巧みさをとても感じるのだがどうだろう。 僕は映画好きでもないのに、わりと日本映画をよく観る。自分の世代からすれば、一部のサブカル好きをのぞけばわりと観る方だと自分でも思う。しかもそれは、いわゆる小津や黒澤といったようなワールドクラスの人たちではなく、しょっぱい作品も多い。理由はとても簡単で「字幕がメンドイ」ということに尽きる。なので日本映画には頑張って欲しいと思う。ちなみに前の文の「なので」は裸の大将の影響を受けていることに最近気が付いた。 「なので、お腹がとっても好いているんだな。」の「なので」のことである。 |
◎ 鈴木重子 ◎ 後援会のページ ◎ 鉄塔武蔵野線 ◎ キアロスタミ ◎ 小津や黒澤 ◎ 字幕がメンドイ ◎ 裸の大将 |
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