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映画戯言 第008回 サンドラ・ブロック in アマゾン 監督:ルイス・ロッサ/製作:ロジャー・コーマン/出演:サンドラ・ブロック、クレイグ・シェファー、他 製作年:1993/製作国:アメリカ/時間:85分/ つかまされるってのは、悪い気がしない。 「サンドラ・ブロックが脱いだ!」 パッケージのキャッチコピーに思わず充血し、喜び勇んで借りてきちゃったりする。それはもうキャピキャピである。レンタルなので高い金を払ったわけでもない。毎度のようにやっぱりあてがはずれて、騙されたと感じる同族の諸氏。こういうのってすがすがしくて「今度こそ」って反省する気もないでしょ。バカタレは年をとってもやっぱりつかまされてしまうのだ。望むところである、喜んで騙されようぞバッチこい! 男の場合、衝動的充血と付加価値が結びつくことは往々にして起こる。女の裸という原始的な欲求と、頭の中にあるトラワレに欲情するのだ。ヘアヌードブームなんてそういうものの典型じゃないか。 昔は、ヌード写真集に毛なんてなかった。そのことが当たり前だった。当たり前になっているということは、それが気付かぬうちにトラワレになっている可能性もあるということである。ヘア解禁以前、どうやら男たちは知らないうちにトラワレの中に身を置いていたようだ。 面白いもので、人間の行動の中は作用反作用を繰り返す。きつく縛ろうとすればそれを解放しようという力が働き、逆にほったらかしにしようとすれば、何かルールを作ろうとする。ヤジロベーのように強くかしげれば、その分だけ反対方向にも大きく傾き、バランスを保とうとするのだ。集団心理の中で働く、自浄作用ってやつは同じようなことなのだと思う。そしてそういう動きが、そこで終わらないところも人間の面白いところだなーと感心してしまう。 普通、ヤジロベーは左右に傾く動作を繰り返しつつもその動きは徐々に小さくなり、やがて止まる。人間の中にも同じような仕組みがあるらしく、ある方向に強い力がかかればその分、その反動も生まれる。そしてその反動に対する反動も発生して、それが繰り返し繰り返し行われることになる。結果がどうあれ、どちらの力も良くなりたいという欲求から生まれてくるということを忘れてはならない。権力ということにしたって、イデオロギーということにしたってそうあるのだと思うがどうだろうね。知らないけど。 おもしろいもんで人間は達成されたはずのことを「まだまだ」とか言い出して達成していないふりをする。ヘアヌードで達成されたはずの男の欲望は、今じゃすっかり変わってしまって、またあらたなトラワレに向かって走り出す。現代人は頭で欲情するのだ。簡単に済ませてしまえば「脱がねーようなのが脱ぐのがいい」ってこと。そういう意味じゃ宮沢りえのしたことはすごいと思う。 たとえば今、モーニング娘。が脱いだとかだったらある程度話題はさらうだろう。でも、僕はもうそこにおもしろいことはない気がする。なぜってそれは、宮沢りえがそういう商品の最後だったと思うから。宮沢りえはスターの香りを残していたし、万人に何か与えるものを持っていたように思う。もちろんヒバリやらユージローと比べちゃ話にならないのだけど、もうスターは日本にいないだし。 どうする?自分で決めなきゃいかんのだよ。僕達はトリックスターを自分の中に飼わなきゃならないんだ。アルタ前でジーサンに包丁突きつけた奴と、モーニング娘にはしゃぐ35歳ぐらいの奴は同じ。論理的な人間じゃないから説明なんかしないよ。同じったら同じなのだ。先に行きます。逝きますじゃなくて生きます。便秘はもうたくさんだ。さあウンコウンコ。 |
◎ キャッチコピー ◎ キャピキャピ ◎ トラワレ ◎ モーニング娘 ◎ 包丁 |
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