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パール・ハーバー(1) 監督:マイケル・ベイ/製作総指揮:ジェリー・ブラッカイマー/製作:ジェリー・ブラッカイマー、マイケル・ベイ/脚本:ランダル・ウォレス/>撮影:ジョン・シュワルツマン/美術:ナイジェル・フェルプス/音楽:ハンス・ジマー/衣装:マイケル・カプラン/出演:マコ、ケリー・ヒロユキ・タガワ、ベン・アフレック、ジョシュ・ハートネット、ケイト・ベッキンセイル、アレック・ボールドウィン、ダン・エイクロイド、トム・サイズモア、ジョン・ボイト、他 製作年:2001年/製作国:アメリカ/時間:183分/ DVDプレイヤーを購入したので、普段観ることがないようなものまで借りてみたりする。ヒット作を観る機会が増えたので、というわけでパール・ハーバーだったりする。 日本が真珠湾を奇襲して、歴史の教科書に出てくる太平洋戦争とかいう時期の、真珠湾にいた優秀な若いパイロット二人(しかも幼馴染で親友だってんだから・・・)と、その二人と三角関係な看護婦。いわゆるコイバナ要素と、迫力の戦闘シーンと凄惨さ、そして兵士たちやその周りの青春群像。でかいカップで薄々のコーヒーをすすっているような、とってもアメリカンな映画である。そりゃあもう、ゲラゲラ笑える。CGが生きて使えなければ決してできないような、迫力の戦闘シーンを魅せようとしている。でもなーんにも見てないんだ。作り手が何も見ていないんじゃ、やっぱりアメリカンしか飲めない。かっこいいハリウッドはもう来ないんだろう。こういうのは声を出して「ダッサイ」と言っていいんだと思う。 この映画で特筆しなけらばならないことは、双璧を成す二人の俳優の競演にある。この二人を組ませた点だけで、この映画の成功は目に見えていたといっても過言じゃない。さっきけなしてたくせにすぐに持ち上げてみようとするあたり、腰痛で外出出来ないときぐらいしか出来ないものだ。ま、素晴らしい二人の俳優を組ませたことが、ハリウッド最強タッグという相乗効果を生んじゃって、ものすごいことになってしまうってことね。 ちょっとそのタッグがどんだけすごいのか説明しちゃうと、長州とマサのタッグぐらいそれはそれはものすごいことなんだ。長州力が体ごといくリキラリアットで相手をクラックラッさせて、節目がちのさそり固めで怒れる父を表現すれば、マサ斎藤は監獄固めと、へそで投げるバックドロップで強さをアピールするも、マサの本当の魅力は、世間の荒波に打たれつづける父の耐える顔にある。もうこの二人はすごいんだ。最強なんだ。この二人の前じゃ疑問なんて差し挟む余地なし。 ま、しかしながら「競演」ということを考えると、タッグというよりもシングルマッチに例えたほうがいいのかもしれない。武藤と天竜のタイトルマッチとか、北斗晶と神取忍の伝説の試合とか、ブルとアジャの金網とかそういう奇跡的な競演が、パール・ハーバーの中でも生まれちゃったりしているのだってこと。そしてもちろんその二人とは、ベン・某やらジョシュ・ナントカという名のしょっぱい二人ではなく、やっぱりマコ・イワマツとケリー・ヒロユキ・タガワであったりする。例えがプロレスばかりなのは、ご愛嬌よろしくである。 全く、映画にマコ・イワマツが出てくるだけで、ガッツポーズをしたくなるというのに、ましてやポルノスターのようなケリー・タガワが出てきちゃうあたり、これはもうただものじゃない。ただものじゃないんだから、細かいことは気にしなくていい。ただものじゃないってのは、そういう気にさせる。 実はこのキャスティング、以前に一度だけ奇跡を起こしている。ショーン・コネリーとウェズリー・スナイプスが共演した「ライジング・サン」がそれである。この映画の中で、マコとケリーは、ナカモトカンパニーという日本の怪しい会社の怪しい関係者を演じまくっていたりするのだ。「演じまくっている」という言い方が、とてもぴったりくるような映画で、「一度は観ておきたい」なんてことを言ってみたくなる。この映画で初めて女体盛りってのを見るって人も多いんじゃないか。実際、僕もそうだった。他にも音楽担当が武満徹ってのもこの映画だとなんか笑えるので不思議だ。 さて、「ライジング・サン」では、アメリカをとって食おうとする日本の会社の一味であるマコ・イワマツとケリー・タガワが、「パール・ハーバー」では奇襲をかける日本軍の一味を演じている。こりゃたぶん偶然じゃないぞ。このことには一体どんな意味があるんだろう。 人間と人間とはお互い、相手の気持ちになるってことは出来ない。これから先は知らないけど。相手の気持ちに立って考えることは出来ても、それは「相手の気持ちになる」ってのとは違う。つまり、一人一人がそれぞれ自分勝手に投影したイメージで対象を把握しようとするってこと。そしてそれはもちろん本人でさえ例外じゃなくて、相手を勝手なイメージで把握している奴が、実は自分自身に対しても勝手なイメージで自分というのを組み立てているんだ。 その昔、「全ては幻想である」とか唱えている哲学っぽい学者の話を読んだことがあるが、哲学とかそういうしちめんどくさいことを匂わせる本は、出来れば死ぬまで無関係でいたいと切に願う。しかし、人間が対象を捕らえようとする行動の中で、幻想が入り込まないわけが無い。 アメリカ人が投影した日本人ってのにもやっぱり幻想があるんだろう。そしてそれは、どうもマコとケリーみたいな奴ってことになる。外見的なことはもちろんだが、彼らに漂う胡散臭さは、きっとそういうことなんだと思う。 そして「そういうこと」が抱えるわけわかんなさを、日本人がイヤなら解消するように働くだろうし、無理に解消しないでもそのうちなんとなるさって思う人がたくさんいればそうなるだろう。人と人との関係性は、出会いの機会を増やすことで濃いものにどんどんなっていくんだ。「知る」の量が少なければ、最悪な形でのバッティングも増える。僕は、全ての問題をポジコフに考えられなくて、なんの為のノーミソだ、という人なのでそういう風に思う。というわけで、長くなったこの文章は次に続くのだ。ワォッ!びっくりだね。 パール・ハーバー(2)を読む
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